アレキサンダー・ハーマン



さて、今回は「ハーマン・ザ・グレート」の名で知られる大奇術師アレキサンダー・ハーマンとそのファミリーについてです。
ここでファミリーと書いたのは、ハーマン家からはアレキサンダーの他にも数人のマジシャンが輩出されているからです。アレキサンダーの父サミュエル・ハーマンに始まり、兄のカール・ハーマン、甥のレオン・ハーマン、妻のアデレイド・ハーマンです。このため、ハーマン家は"First Family of Magic"(奇術の大統領家)と呼ばれました。
しかし、最も大きな成功を収めたのはアレキサンダー・ハーマンでしょう。アレキサンダーが生まれたのは1844年です。映像記録時代には一歩及ばず、今彼の演技を見ることはできませんが、話に聞く限り相当にすごいマジシャンだったようです。
ある時、彼は警察官に呼ばれて取り調べを受けました。時計を盗まれたと言って訴えられたのです。ところが取り調べの最中に不思議なことがおきます。いつのまにか警察官の拳銃が消えているのです。拳銃はなんと時計を盗まれたと言った男のポケットから出てきました。さらに、盗まれたはずの時計は警察官のポケットからでてきました。ここでハーマンは「自分はアレキサンダー・ハーマンだ」と言って名乗り、かの有名な奇術師ハーマンが仕掛けたドッキリだったことが判明します。パフォーマンスとはいえ、こんなことが行えるのは当時のハーマンのネームバリューがあってこそ、です。
また、ハーマンは普段大きな劇場でマジックを行っていましたが、パーティーなどに呼ばれた時でも即席のマジックをして人々を驚かせていました。ハーマンが使ったのはその場にあるワイングラスです。彼がそれを空中に投げ上げると忽然と消えてしまうのです。
ワイングラスの底はコインのように円盤型になっていますが、そこでバックパームをしたそうです。自分の技術に相当の自信がないととても実演する気にはなれません。
一方で、アレキサンダーがまだ小さな子供だった頃には、兄のカールが「プロフェッサー・ハーマン」と呼ばれて大いに成功していました。ある時、カールがヨーロッパ公演ツアーを終えて実家に帰ると、まだ8歳のアレキサンダーがなかなか面白いマジックをしていました。それを見たカールは両親の承諾なしに弟を「誘拐」し、そのままマジックを教えこむためにロシアへ連れて行ったのです。
さらにロシアでの自身の公演において、カールはアレキサンダーをアシスタントとして起用しました。アレキサンダーがやったのは「セカンドサイト」と呼ばれるテレパシーマジックの助手です。もともとロベール・ウーダンが考案したマジックですが、カールはウーダンの助手からこの奇術のやり方を買っていたのです。アレキサンダーと組んだこの奇術でカールはロシア皇帝ニコライ1世から金時計を贈られました。 このようにして、弟アレキサンダーは兄カールのもとでマジックを学んでいったのです。

兄:カール・ハーマン

しかし、二人のマジックに対する興味は少し違いました。カールが機械仕掛けの道具をよく使ったのに対し、アレキサンダーは純粋なスライハンドマジックが好きでした。
ショーの中で、カールが自身の後継者として弟を紹介したとき、アレキサンダーが演じたのは「カード投げ」でした。彼は広い観客席の中から手を挙げた観客の膝の上に正確にカードを投げることができたそうです。

妻:アデレイド・ハーマン
やがて二人は独立してショーを行うようになり、アレキサンダーはロンドンの有名なエジプシャンホールで3年間マジックを演じた後、アメリカに渡って結婚、アメリカ国籍を取得してニューヨークに居を構えました。
この後はまさにアレキサンダー・ハーマンの時代でした。彼はアメリカを中心に世界各地でのショーを成功させ、その名を不動のものにしました。彼のマジックを見た若いサーストンは次の時代の大奇術師となり、そのまた次の時代のマジシャンの模範となっています。ハーマンはマジックの歴史においてこの時代の根幹をなす存在です。

1887年、ニューヨークで兄カールの訃報を聞いた時、アレキサンダーはショックを隠せませんでした。仕事上のライバルとはいえ今の自分があるのは兄のおかげ、と感じずにはいられなかったのです。後に新聞の取材に対し「私たちはいつもお互いに温かい兄弟愛を感じていた」と語っています。
師でありライバルでもあった兄の死から9年後、弟アレキサンダーも52年の生涯を閉じます。その後「ハーマン」の名は、妻アデレイド、甥のレオンへと受け継がれていきました。妻のアデレイドは75歳で引退するまでアレキサンダー・ハーマンの後継者としてマジックを続け、その4年後に亡くなりました。現在は夫アレキサンダーとともにニューヨーク・ブロンクスのウッドローン共同墓地で永い眠りについています。




Alexander Herrmann
(1844-1896)




「偉人伝」に戻る